「帝国ホテル建築物語」のポップ

  • 2019.07.11 Thursday
  • 08:10

 「帝国ホテル建築物語」のポップ(下の画像)をPHPで作ってくれました。阿川佐和子さんは明治村の村長さんで、本の帯の推薦文を頂いており、それを転載したのですが、今回、隈研吾さんの言葉も載せています。

 隈研吾さんとは、彼が三鷹の「ハモニカ横丁ミタカ」で小さなトークイベントをなさった時に聞きに行き、名刺交換させていただきました。NHKの「美の壺」でフランク・ロイド・ライトが取り上げられた時に、隈さんが登場されていたこともあって、私が「ライト館が建つ時の小説を書いています」と話したら、興味を持ってくださいました。

 それで本ができた時に1冊、献本したところ、隈研吾事務所からPHPに「面白かったので感想を伝えたい」と、私の連絡先をたずねる電話があったのです。忙しい方なのに読んでくださったのかと、それだけでも驚きだったのに、わざわざ私の連絡先を調べてくださるなんて!

 その後、感想のメールを頂いただけで、私は大喜びしていたのですが、PHPの方から隈研吾事務所に連絡してくれて、今回のポップができました。世界の隈研吾に褒めていただけたのは、ちょいと自慢であります。

 ちなみに隈さんの作品の中で、私が大好きなのは世田谷にある「村井正誠記念美術館」です。明治から平成まで生きた抽象画家、村井正誠の小さな美術館ですが、彼のアトリエを、そのままコンクリートの四角い箱でおおった建物です。古いアトリエの中で、ところ狭しと画材が置いてあるゴチャゴチャ感も、そのまま空間作品になっており、前庭の四角く浅い池には、村井正誠の愛車だったトヨペットクラウンが置いてあって、錆びてくちていく経緯もアートとして表現されています。私は小さな美術館が好きなのですが、ここは特にオススメです。

http://www.muraimasanari.com

 

新刊「空と湖水」のこと・その2

  • 2019.07.05 Friday
  • 10:45

(前回からの続き)

 私は三橋節子の存在を知った頃から、彼女を主人公にした作品の企画を、何社かの出版社に持ち込んでいたのですが、どこからも色よい返事はもらえませんでした。時代が新しく、ご遺族がご健在では書きにくかろうというのです。それは当然のことでした。

 歴史上の人物のご子孫でも、ご先祖のことを小説に書かれるのを嫌う方はいらっしゃいます。ご先祖を崇高な存在としてとらえておいでなので、人間的に描くと受け入れられない場合があるのです。

 まして時代が新しいと、亡くなった方の思い出は鮮明だし、関係者の許可を得るのが、いっそう難しくなります。でも、ご遺族との関係性を、ていねいに築いていけば、きっとうまくいくはずだと、私は期待を持っていました。

 そして猛暑の祇園祭から、静まり返った余呉湖まで、ちょこちょこと現地に取材に出向き、鈴木さんのお話しも改めてうかがってから「空と湖水」を書きました。去年の夏から秋にかけての執筆でした。

 ここ十数年、企画が編集会議を通ってから書き始めるというスタイルを続けてきたので、出版のあてのないままで書くのは本当に久しぶりでした。最終的に、どこからも本にしてもらえなかったら、公募の文学賞に応募しようと覚悟を決めて、書き進みました。特に去年は明治150年で、私は大忙しだったのですが、本になる予定のない作品のために、よくぞ時間をさけたものだと、今になって自分でも感心しています。でも、それほど書きたい題材だったのです。

 原稿の段階で、鈴木さんに目を通して頂く約束でしたので、最後まで書き上げてからプリントしたものを送りました。でも何を言われるか、正直、とても怖い気がしていました。しばらくして鈴木さんからは、事実と反する点や、違和感のある部分が指摘されました。その中で譲れないところは理解していただき、直せる点は直した上で、確認のために訂正原稿を送りました。そのやり取りは一度では終わらず、正直、面倒ではありましたが、取材のたびに鈴木さんは貴重なエピソードを教えてくださいました。その結果、まぎれもなく作品の深みが増し、質が向上したのです。

 そうしているうちに文藝春秋の方と久しぶりに出会い、原稿を読んでいただいた結果、すんなりと出版が決まりました。鈴木さんも本当に喜んでくれました。

 そんなふうに、いつもとは違う苦労や、いくつもの偶然、そして思いがけない人との出会いを経て、日の目を見た作品です。そのために今回は、特に思い入れが強く、お世話になった方々への感謝もひとしおです。

 7月5日発売です。ぜひ読んでみてください。書棚に置いて、何度も繰り返して読める作品だと思います。さっそく他社の編集者から「涙が止まらなかった」との感想をもらいました。

 

新刊「空と湖水」のこと・その1

  • 2019.07.04 Thursday
  • 14:43

 明日の7月5日に「空と湖水 夭折の画家 三橋節子」という書き下ろしの単行本が、文藝春秋から発売になります。昭和40年代の京都と琵琶湖畔が主な舞台です。

 三橋節子は京都市立美大の卒業で、絵描き仲間と結婚し、男女ふたりの子供にも恵まれました。でも新進気鋭の画家夫婦として売り出しの最中、思わぬ病気で利き腕を切断。その後は病気と戦いながら左手で描き続け、35歳で早世した実在の人物です。

 この題材との出会いは、化粧品のカタログ誌で連載していた女性人物伝でした。実は私は不勉強ながら、それまで三橋節子を知りませんでした。だれか連載で取り上げられるような人物はいないかなあと、ネットで検索していたところ、たまたま三橋節子に行きついたのです。wikiを読んでみて、すぐに次の号で書こうと決めました。

 毎月、ひとりずつの連載に追い立てられ、それまでは、あまり取材には重点を置かず、ほとんど文献資料だけで記事を書いていました。でも大津市内に三橋節子美術館があることがわかり、画家のことを書くのに、まったく絵を見ないわけにもいかないだろうと、珍しく遠くまで取材旅行に出かけたのです。

 そして美術館で、初めて三橋節子の絵の前に立った時、私は、この人の生涯を小説にしたいと強く感じました。その辺の感動については「空と湖水」の「あとがき」にも書いてあります。

 とりあえず女性人物伝を書き終え、それを献本がてら、美術館に「小説として書かせてほしい」と手紙を書き送りました。私の既刊の本も添えて。すると三橋節子のご主人だった鈴木靖将さんから連絡があり、私は、もういちど大津に出かけて、お目にかかりました。

 鈴木さんによると、かつては映画化やドラマ化の話が何度もあったけれど、当時は、お子さんも小さかったし、フィクションはすべて断ってきたとのこと。私は、私が絵から受けた感動を広く世の中に伝えたいと、執筆意図をお伝えすると、小説化を承諾して頂けました。

(この項つづく)

進化するクリーニング店

  • 2019.06.28 Friday
  • 16:03

 先日、行ったことのないクリーニング店に、洗濯物を持っていった。すると奥から、かなりご高齢とおぼしき女性が、よろけながら登場し、私は正直「ここで大丈夫だったかな」と案じた。

 ともあれ「初めてお願いするんですけど」と申し出ると、高齢女性が「スマホ、お持ちですか」と聞く。何に使うのかといぶかしく思いつつも、バッグから取り出すと、「ではQRコードでアプリを」とのたまう。

 「ひえ〜、そういうの苦手なんですけど」と慌てる私。一方、高齢女性は私のスマホをのぞきこんで、テキパキと指示。言われるがままに操作した結果、そのクリーニング店のアプリが画面に表示された。開いてみると、亭主のズボンと私のレインコートが記載され、値段も仕上がり日も、ちゃんと載っている。紙の伝票は不要。

 若い世代には当然のことだろうけど、私みたいなおばちゃんは、そういうのに遅れっぱなし。だいいち高齢女性と、アプリだのQRコードだのとのイメージのギャップには、ただただ驚くばかり。少なく見積もっても、私より10歳は上に見えたんですけどね。

 ありきたりな結論だけど、世の中、変わってきてんだなあと、おばちゃんはシミジミしたのでありました。いや、もう「おばちゃん」じゃなくて、私こそ「おばあちゃん」と称すべきだな。

 

帝国ホテルライト館の建材

  • 2019.06.26 Wednesday
  • 09:52

 拙作「帝国ホテル建築物語」の中でも登場するのだけれど、フランク・ロイド・ライトは帝国ホテルを建てる時に、当時の日本では、まだまだ使われていない特殊なレンガを用いた。

 明治村で撮った下の写真の柱が、それ。金箔をあしらった窓枠のデザインも秀逸だけれど、ここはレンガにご注目あれ。

 よく見ると、レンガの表面に細かい筋が入っている。たぶんライトはスクラッチブリックと呼んでいたのだと思うが、日本語ではスダレ煉瓦といった。レンガを縦置きすると、筋がスダレのように見えるからだ。焼く前の柔らかい状態の時に、櫛の歯のように並べた釘状のもので、ひっかき傷をつける。色は赤レンガではなく、黄色っぽい。積む時に、水平方向には目地を入れるけれど、縦の目地は、ほとんど目立たないのが特徴。

 京都東山の長楽館というオーベルジュでも使われている。というか、こっちが先に建てられていて、この特殊なレンガを焼いた職人に、当初、帝国ホテルは発注した。その辺の顛末は、びっくりするくらい破天荒で面白いので、ぜひ作中で。

 その後、スクラッチタイルというタイル状のものができて、それが昭和の初め頃に、けっこう流行したらしい。虎ノ門の文科省や東京海洋大学の越中島キャンパスでも、それらしき外壁の建物が残っている。もしかしたらタイルじゃなくてレンガかもしれないけれど。

 先日、住宅の塀でも見つけた。赤レンガ塀の手前の白っぽいところがスクラッチタイル。こういうものを見つけると、ちょっとうれしくなる。

小石川植物園訪問記

  • 2019.06.13 Thursday
  • 13:50

 今日は、なんとなくダラダラと書く。

 7月に「空と湖水」という単行本が文藝春秋から発売予定。作中で菩提樹の花が、ちょっとしたモチーフのひとつになっており、実物を見てみたいと思いつつ、6月の開花時期と執筆時期とが合わず、とうとう見ないままで校正まで終わってしまった。

 でも、やっぱり確認しておきたいので、東京都内で菩提樹の木を探したところ、小石川の植物園にあるとわかった。そこで昨日、ひとりでノコノコと出かけてみた。

 茗荷谷の地下鉄駅からの坂道には、気持ちのいい木立の遊歩道が続き、水路まで設けられている。周囲の町並みには、ここはパリかしらんと思うようなオシャレ感も、たまにあり。

 植物園は、ちょっとした高台にあり、遠くからも大木が見通せる。中に入ると、本館が「おっ」と思うような近代建築(写真)。建築家は東大安田講堂と同じらしい。できたのは日米開戦の2年前。戦前は日本も文化的だったのだなと、改めて思う。

 菩提樹の花(写真)は盛りを過ぎていたが、雰囲気は充分に理解できた。甘い香りだと聞いていたけれど、盛りを過ぎていたせいか、むせ返るほどの匂いではなく、ほんのりと甘く、かすかにスパイシーな感じも混ざる。

 花そのものも控えめで、ひっそりとしている。さくらんぼのように枝から下に向かって花茎が伸びて、そこに小さな黄色い花が複数ついている。ひとつの花の大きさは、イクラの粒くらいか、豆まきの豆くらいかな。花弁もスズランみたいに下を向いている。

 「空と湖水」の主人公である三橋節子という絵描きさんが愛した花なのだが、本人も、こんなふうに控えめな人だったんだろうなと、これまた改めて思う。

 植物園自体も静かな森で、また来たいなと思った。ちなみに幕末までは小石川養生所があった場所で、当時の井戸が現存している。ここで丁髷姿や丸髷姿の人たちが治療を受けたんだなと、いろいろ思い描く。かつては薬草園があったので、それが紆余曲折を経て、植物園に転じたらしい。

 帰りに正門から出たら、目の前に「ヤマザキパン」のお店があり、その軒下に「アイスクリーム」の旗(写真)がひるがえっていた。水玉が可愛かったので、ラインで娘に画像を送ったら「(時代が)1周まわって可愛いとかって、よく言うけど、これは1周どころか3〜4周はしてるね」とのこと。言い得て妙。

 おしまい。

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