藩主さまとツーショット

  • 2017.03.15 Wednesday
  • 08:05

先日、佐賀でシンポジウムに出て、翌日、市内をまわったのですが、名君と名高い鍋島直正公と、佐賀城本丸歴史館でツーショット。直正公は板に写真が貼ってあるだけなのですが、まるでホントに並んでるみたい。ちなみに私は少し後ろにずれて、小柄に見えるように努力しとります。よく見ると座布団の前が、かなり余ってます。

 

またまた行ってみたらば・・・

  • 2016.11.21 Monday
  • 10:35

 先週水曜日、常滑にあるINAXのミュージアムに取材に行きました。中部国際空港、別名セントレアの近く。常滑駅からのバスは出たばっかりで、タクシーでミュージアムに。降り立った時に、ばかに静かだなとは思ったけれど、入り口に近づいてみると、なんと、毎月第三水曜日が休館という立て看板が。よりによって月にたったいちどの休館日に、なぜ行ってしまうのか。娘から「お母さん、なぜ学習しない?」のメールが。わが辞書に「学習」の文字はないらしい。行こうと思い立つと、後先考えずに新幹線に乗っちゃうのですね。去年は長崎の歴史博物館でもやらかしました。で、常滑に1泊して、翌日、もういちど行きました。

 

吾輩は猫であるの話

  • 2016.05.15 Sunday
  • 11:53
先日、愛知県内にある明治村に出かけて、夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いた旧宅(写真上)を見てきました。ほかの建物も見終えて、帰りのバスを待つ間、生ビールとコロッケを買ってテラス席に座ったら、あらま、猫が(写真下)。コロッケ、分けてあげました。でも明治村があるのは犬山市。

湯河原の2・26事件の宿

  • 2015.08.17 Monday
  • 00:36

 ゴールデンウィークの和宮ゆかりの宿に続いて、歴史的な宿に宿泊の第2弾。今度は2・26事件ゆかりの湯河原、伊藤屋に泊まりました。ここも前々から泊まってみたかったところで、ゴールデンウィーク同様、突然、思い立って、ネットで予約状況を見たら、空いていたので、家族でGo!

 大正年間に建てられた部屋が3部屋あるというので、予約の時に、そのどれかを希望したら、たまたま事件に関わった19番という部屋に当たりました。そこで殺戮があったわけじゃなくて、決起した青年将校側の見張り役が泊まっていたところ。8畳と6畳の2間続きで、なかなか風情のある部屋(写真) でした。

 湯河原は東京以外で2・26事件が起きた唯一の場所で、大久保利通の次男で、親米派だった牧野伸顕が襲撃を受けたのです。牧野伸顕は少し地味だけれど、明治大正の外交の実力者。襲われたのは、もう晩年で、いわゆる湯治中でした。

 牧野が泊まっていたのは、伊藤屋の離れ。といっても同じ敷地内ではなく、本館から道路と川を隔てた山の中腹にあって、それが19番の部屋から、とてもよく見えるのです。見張り役は数日にわたって泊まりこんでいたというから、牧野伸顕が確実に離れにいることを確認していたのでしょう。なんだか忠臣蔵の討ち入り前みたい。

 牧野は九死に一生を得て逃げ切りました。離れは将校たちに放火されて焼失したけれど、建て替えられた家があって、予約しておくと内部の見学ができるらしいのです。でも急だったので、それは見られなくて残念無念。外側をウロウロしていたら、犬に怪しまれて吠えられました。犬好きなのに・・・。

 帰りがけに駅前の町立図書館に、ちょっと事件のことを調べに立ち寄ったら、カウンター前のオススメ本のコーナーに、あらま、私の『リタとマッサン』が! 司書の方が気に入ってくださったのかな。

和宮ゆかりの宿

  • 2015.05.10 Sunday
  • 05:14

 遅ればせながらゴールデンウィークの話題です。間際になって、家族で一泊だけ東京から近い温泉に行こうということになり、ネットで調べたところ、箱根の環翠楼が一部屋だけ空いていました。和宮が脚気で逗留していた宿で、前々から泊まってみたいと思っていたので、さっそく予約。

 はてさて出かけようという前日から、ご存じの通り、箱根は火山の警戒レベル1に。でも、ま、大丈夫だろうと、お気楽一家は一路箱根へ。

 行ってみると大正時代の建物で、大きな窓からは早川の渓流が望めるし、下の写真の通り、なかなか風情あり。和宮が泊まっていた頃は、平屋の小さな建物だったそうです。和宮の歌碑があり、勝海舟が建てたものとか。伊藤博文も泊まったというし、歴史満載宿でありました。

 大きな部屋で家族枕を並べて寝たのですが、夜中に蚊の羽音で目が覚めました。私はだいたい家以外では眠りが浅い方で、特に蚊の羽音は苦手。見れば縁側の電灯がつきっぱなし。きちんと窓も閉めておらず、そこから侵入した様子。ところが、なにせ大正時代の建物だけに、縁側の電灯のスイッチが、探しても探しても見つからず。最後に部屋の電気を消したのが亭主なので、起こして聞くことにしました。

 で、枕元に近づき、肩を揺すって起こしたところ、亭主は化け物に出会ったかのように驚いて目を覚ましたのでありました。ま、上から顔を覗き込んで起こしたので、目を開けたら真上に古女房のデカイ顔という状態で、化け物と思い込んでも致し方なし。

 それからしばらく眠れず、ようやく寝ついたところ、朝6時に突然、大音響。田舎によくある屋外放送で「こちらは防災箱根です。ただ今、警戒レベル2に達しました!」とのお達し。まあ、防災レベル1を気にせずに出かけたので、しょうがないのですけどね。

 これで避難する車が道路に殺到し、大渋滞を起こして、大パニックに陥ったらどうしようなどと、小説家の想像は膨らんだのですが、現実には、そんなこともなく、意外に平和に帰宅しました。

    

吊り橋チャレンジ

  • 2014.09.19 Friday
  • 03:32

先日、関西在住の姉に車を出してもらって、奈良県の十津川村に、取材に行って来ました。十津川村と言えば、坂本龍馬の暗殺者が、十津川郷士と名乗ったことで有名。ある意味、幕末の鍵を握る場所です。


吊り橋があると聞いていたので、そのうち何かの小説を書くときに役に立つかもと思い、渡ってみることに。

http://totsukawa.info/joho/kanko/


姉は子供たちが小さい頃に、キャンプに来たことがあって、その時も怖いから渡らず、旦那さんと息子だけが渡ったそうな。今回も「私は待ってるからね〜」と橋のたもとの建物の喫茶コーナーへ。


私は張り切って渡り始めたとたん、ゆらゆら来て、これは、ちょっとやばいぞ。もう1歩進んで、これは、かなり怖いぞ。全部で4、5歩も進んだところで、これは無理かも。でも小説を書くときの役に立つからと、頑張って、あと1歩、2歩。結局、無理と自覚し、すたこら引き返してしまいました。


喫茶コーナーに行ってみると、姉は窓越しにカメラを構え、今や遅しと、私が出てくるのを待っておりました。姉の視界にも入らないうちに、ひよった私。背後から声をかけると、超ビックリ顔が振り返ったのでありました。

反射炉を見に伊豆に

  • 2013.02.10 Sunday
  • 06:14

先月、反射炉の取材で、娘とふたりで伊豆の韮山に出かけた。

反射炉とは幕末に鉄を溶かして大砲を造った西洋式の炉。

車で出発前、ものを知らぬ娘がカーナビに「反射炉」と入力したら、

全国の候補地が検索に引っかかって、リストが出てきた。


娘「ええと、これかな? ひたちなか市・・・」

私「それじゃない。それは水戸藩の反射炉で、復元したやつ。

ずいぶん前に見に行ったことあるけどね」

娘「じゃ、これ? 萩市・・・」

私「ああ、そこも行った。講演会で行った時に、市の人に連れてって貰って」

娘「じゃ、これ? 佐賀の反射炉跡」

私「そこは2度、行った。原寸の何分の一かの模型が置いてある」

娘「じゃ、これかな。伊豆の国市・・・」

私「そうそう、そこそこ」

娘「おかあさん、この反射炉も、前に来たことあるの?」

私「う〜ん、今度で4回目かな・・・」

われながら反射炉好きというか、執念というべきか。


現地に行って、現物を見た娘いわく、

「お侍さんと反射炉のイメージが結びつかない」

たしかに丁髷の人が煉瓦のタワーを造ったと言われても、ピンと来ないかも。


明治維新の時点で、すでに反射炉は時代遅れだったし、

特に韮山のは幕府の施設で、そのうえ人里離れた場所にあったために、

明治新政府からは顧みられず、もう明治初期の段階で、

打ち捨てられたも同然だった。でも、だからこそ残ったのであって、

佐賀や水戸みたいに街中にあったら、壊されていたのは疑いない。


実は韮山の反射炉は、世界で唯一現存する反射炉で、

世界遺産への登録の動きがあるけれど、それだけの価値はあると思う。

世界遺産登録については、当初、萩や佐賀の方が、ずっと熱心だった。

でも最近は伊豆の国市も頑張っているようで、

伊豆の国市のサイトで、復元CG↓が見られて、とても興味深い。

http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/hansyaro/manabi/bunkazai/hansyaro/documents/hansyro_mc.wmv


韮山の反射炉に関しては、耐火煉瓦を焼いた登り窯も、

伊豆のわさび田の奧で、朽ち果てそうになりながらも、ひっそりと残っている。

前に行った時に、詳しい人に連れて行って貰ったけれど、

何の案内もなくて、ひとりじゃ、とても行かれないような山奥。

でも、なかなか感動的な場所で、反射炉とセットで世界遺産の価値はあると思う。

ただ谷間の傾斜地なので、大勢の観光客が見に行かれるようにするには、

かなり手を入れないとならないし、行政的には、いろいろ難しいのかもしれない。


写真は恐れ多くも、韮山反射炉事業の推進者・江川太郎左衛門どのになった私。

大分母娘取材

  • 2012.09.01 Saturday
  • 05:08

今年2月に、重光葵の取材で、

彼の出身地である大分に、娘とふたりで行った時の話。

レンタカーでゆかりの地をまわり、宿泊は別府にしました。

重光が片脚切断後に療養した町なので。


初日の取材で予想以上の収穫を得て、時間の余裕ができたので、

2日目には、別府温泉の有名な「地獄めぐり」に。


最初に行ったのは「海地獄」。

盛大に白い湯煙が立ちのぼり、それが風で流されると

想像以上にきれいなコバルトブルーの温泉池が現れるのです。

私がしきりに感心していたら、娘いわく、

「底をプールみたいに、水色のペンキで塗ってたりしてね」

うーん、子育てを間違ったか・・・。


「竜巻地獄」というのは30分間隔で吹き出す間欠泉で、

なかなかの勢いで、6分間ほど高く吹き上がるのだけれど、

またもや娘いわく、

「おじさんが、下でバルブ開いてんじゃないの?」

やはり育て方に、問題があったようであります。


別府は、町のお風呂屋さんも当然、温泉。

歓楽街も充実で、全体的にちょっと昭和な感じ。

温泉街といえば、山の中の渓流沿いというイメージがあったけれど、

海沿いの平坦な町で、夜、飲み歩くのにも、とてもよい所でした。


問題は、お宿の露天風呂。

内湯から離れて独立した露天風呂だったのだけれど、私たちが一番湯。

でも身体が冷え切ってて、そのままお湯に入ると、超熱い。

湯船がでっかいので、ちょっとやそっと水を加えても冷めない。

だけど、なにせ2月なので、お湯から出ると超寒い。

熱いのと寒いので、これぞ温泉地獄でありました。


でも、また行きたいです。

別府温泉、気に入りました。

久しぶりにバカな話

  • 2012.02.16 Thursday
  • 21:44

先日、ちょっと樋口一葉を書くために、

樋口一葉記念館に取材に行ってきた。

一葉は作家としてブレイクする前に、吉原遊郭の裏町で、

駄菓子屋を開いていたことがあり、記念館は、そのすぐ近く。


で、遊郭の跡地にも、前から行ってみたいと思っており、

ついでなので吉原大門から入って、禁断の地に足を踏み入れてみた。


そこはウィークデイの昼間から、ネオンぎらぎらの風俗ビル街。

客引きのお兄さんも、うろうろしていて、

いやー、さすがだなと感じ入ってしまいました。


で、うろついてるうちに、雨がパラパラ。

そのため吉原のただ中で、最寄り駅までタクシーを拾った。


乗ってから、ふと見ると、後部座席の両側の窓に、

レースのカーテンが引けるようになっているではないか。

窓の内側に、わざわざカーテンレールを設置してあるのだ。


歴史小説家というのは、ちょっとしたことから空想を巡らせて、

話を作りあげるのが仕事で、たいがいその空想は正しいのだが、

その癖が、むくむくと頭をもたげてしまった。

いったい、このレースのカーテンの目的は何なのかと。


おそらく、この車は、いつも吉原を流しているに違いない。

で、もしかしたら、

風俗街でタクシーを拾ったお客が、恥ずかしいのでカーテンを引くのか。

それともショバ代を集金にいく怖い系の人が、身を隠すのか。

さもなくば同伴出勤のお客さんが、おねえさんといちゃつくためなのか。

だけど、そもそも風俗嬢に同伴出勤なんかあるのか。


運転手さんに聞いたところで、正直に答えはしまいとは思いつつも、

どうしても聞きたくなって聞いてみた。すると、

「夏に西日が当たるんでね。日除けですよ」

なんだ、そういうことかと思ったが、運転手さんは続けていわく、

「女性なんか、日が当たるのを嫌がるんでね」

むむむ、日焼けを嫌がる女性って、やっぱり吉原のお姉さんか。


かくして歴史小説家の、どうでもいい妄想は、

高尚な樋口一葉文学から、どんどん離れていくのであった。


帰宅後、風俗ビル街に行った話を娘にしたら、娘いわく、

「ママ、デブ専の店からスカウトされなかった? 体重3桁でもOKだってよ」

娘よ、ママは体重ではオーバーしないかもしれないが、

年齢で規定オーバーだよ。


こんな話を書くと、変な書き込みが増えそうだな・・・。

極寒の名護屋城

  • 2011.01.18 Tuesday
  • 09:18

ブログは毎週更新のつもりだけれど、

先週は空いてしまいました。


週半ばから福井に出かけ、金曜日は東京に戻り、週末に佐賀へ。

いつもは家のこたつで原稿書きと昼寝の繰り返しという暮らしなので、

さすがに、へばりました。


福井はお江の講演、佐賀は「科学」で連載している作品の取材でしたが、

佐賀取材の翌日が空いたので、ひとりでレンタカーを借りて肥前名護屋城に。

秀吉が朝鮮半島への出兵の基地として築いた城です。


石垣しか残っていないと聞いていたので、さして期待せずに行ったのですが、

下手な復元城があるよりも、私はこういう方が好きだなと思いました。

愚かな出兵だったのは確かだけれど、強者どもが夢の跡という雰囲気で。


天守台跡に立つと、壱岐から対馬まで見えたし、

海の色がすばらしかったのですが、寒いのなんのって。

玄界灘を渡ってくる北風が、耳元でゴーッと風切り音を立てっぱなし。

こんな季節に来る酔狂はおらず、名護屋城ひとりじめ!


名護屋城には、たぶん、お江も来ているはずだし、

今、福井新聞で連載している作品の主人公、結城秀康の陣もありました。

石田三成の陣の隣で、この配置には、なかなか意味深いものを感じます。

ただ秀康や三成の陣へは道路がなく、山登りの覚悟をして来ないと駄目で、

「この辺かなあ」と山を眺めつつ車で素通り。


どんなにへばっても、どんなに寒くても、現地取材は得るものがあり、

今日から原稿書きに邁進、の、つもりです。

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